Difference of education
昨晩、同業?他社みたいな人と飲みに行きました。
彼はドイツ人で日本でも一緒に仕事したことがありますが、ここフィリピンでも今回一緒になりました。
彼は私よりも年上でこの仕事も長いことしています。
で、今はもともと務めていた会社とフリーランスの契約をしており、仕事内容は変わらないのですが、給与形態や立場などが変わっているという状態です。
今は台湾の方と結婚して台湾に住んでいます。
で、彼は一足先に帰国することになったので送別会じゃないけど、軽く食事を兼ねて飲みに行ったんです。
そこでまぁいろいろ日本とドイツについても話をしたのですが、ドイツと日本の教育について彼が語っていたのが印象的でしたので記しておこうと思います。
あくまで個人同士の(酒の席での)意見ですので、これがドイツと日本のすべてだ!というわけではないことはお断りしておきます。
ベースとして特に技術的な考え方に対しては日本とドイツは似ていると彼は言っていました。問題に対する取り組み方とかも共感できると。
これは私も日々感じていたことで、日本にドイツ製品があふれていたりすることも多くの方に共感できるのではないかと思います。
ただ、大きく違うのは、打ち合わせの席とのことでした。
日本人の打ち合わせ、特に問題を伝える場合は核心を伝えるまでに時間がかかると。
ドイツの場合は例えば
「A→B→C→D」
という説明で済むところを日本の場合
「A→→A'→→B→→B'→→B''→→A→→C'→→C→→B'''→→C''→→D」
みたいな。
この説明とても分かりにくいですね(-_-;)
要はゴールは一緒だけど、それを伝えるのにくどくど言い訳したり当たり障りのない言い方を探したりしすぎるということです。
ミスという点に関してすごく恐れていると。
多くのビジネス本なんかでも指摘されている内容です。
彼がそういった本を読書するタイプなのか、ドイツにもそういう本があるのかは謎ではあるのですが、彼の意見としては教育が違うんじゃないかと。
ドイツの場合は「すべての道はローマに通ず」という格言にならってゴールを用意するけど、到達の仕方は生徒に一任すると。で、たどり着けばすべてが正解とするようです。
しかし、日本の場合は道筋まですべて教員が示してそこを辿っていくことのみが正解とされている。寄り道は不正解としているとのことでした。
この内容も複数の子育て本なんかで指摘されていることです。
まったくその通りだと思います。まぁ日本は優秀な兵士を育てる必要があった頃の教育システムをいまだに引きずっていますからね。
正解は一つ、不正解は悪。
ここまで明言はしてませんが、根底にはこれに近い意識がある気がしてます。
なので日本という国は失敗にはとても社会的に厳しいです。
人は失敗するということはだれしもわかってるんですがね。
自分は大丈夫みたいな正常化バイアスに全員がかかってるわけではないとは思うんですが。
別に日本はダメでドイツに倣え!というわけではないです。
今回のコロナ騒ぎでも一瞬で感染爆発しなかったのは、自粛要請だけで多くの人が自粛したことによる一定の効果だったと思われます。
これってつまり、同化圧力を奨励してきた教育の結果ではないかと。
こういう点ではたまにはいいこともあるのです。
でもね。。。
私も娘がいるので、教育に関してはそれなりに興味があります。
これはあくまでマクロでなくミクロの話です。
正直、政治が~教育が~などという気はないのですが、我が子が自分の頭で考えられてそれを社会が受け入れられるようになるといいなとはこの頃思います。
でもそのためにはまずは自分自身の意識を変えていかないといけません。
私自身も他人の失敗に対して寛容になれるか?
ということを常に自問していく必要があるのではないかと感じています。
ただ。。。これがなかなかむつかしいんですよね。
滝に打たれでもしたらいいのかな?
ま、そんな単純ではないですね。
最後に、ドイツと日本は戦時中同盟国だったから、それをドイツ人は世代が変わっても絶対忘れないよ!と言ってました。
この感覚はきっと日本人にはないですね。
まぁ彼自身が若い世代ではないのでなんとも言えませんがね(笑)